26歳でアパレル会社を退職し、ブテックを設立しました。
その頃は、アパレル全盛期?でメーカーも作れば売れる状態でした。
私の会社(お店)では、VICKYなどを扱いました。他、メイソングレイ、KETTY、
クイーズコート、ロートレアモン、などでした。
ほかは(株)ワールド(株)イトキンなどと取引していました。
ご存知の方もいると思います。
一世風靡したことと神戸ブランドの生みの親みたいなものだし
今でこそ東京でもありますが、初期の神戸ファッションショーの創業ブランドたちですので。
最初の店は、35坪、わかりやすく言えば畳で70畳(余計わからないか(笑))
人口は1万3千人ほどしかいない町に出店・・・苦笑。
時代背景は簡単に言えば
あの頃は、大規模店舗法により、大型店(GMS)が地方に進出してもいいよ!
と言う政治的判断によりイオンなど大型ショッピングセンターが進出始めました。
あの頃はイオンでなくてジャスコでしたね。ダイエーも元気がありましたね。
あと、ニチイですね。さてニチイはSATYという名前でショッピングセンターを進出しました。
中堅で言えば平和堂とか他多数の大中織り交ぜながら。地方に進出してきました。
なぜかといえば、都市部では地価が高いし、郊外型店舗の開発競争になったからですね。
ぞうさんの餌場がなくなったので、地方に餌場を求めたのです。
それを政治的あ圧力をかける事により、可能にしたのですね。
先進地のアメリカがGMSを拡大していましたので日本もそうなるだろう
ということで方向が決まったのですね。
当然百貨店も負けてはいません。そごう、が怒涛の勢いで、採算度外視?(笑)
で地方都市のターミナルに進出、一部は町の中心に進出しました。
もちろん、高島屋、西武百貨店、三越、伊勢丹、阪急など
有名百貨店も全国展開してきました。
さて、何が牽引していたからと思いますか?
百貨店やショッピングセンターがそれだけ発展してきた理由は?
いつの時代も同じですが、やはり消費者のパワーなんですね。
消費者でも特に女性なんですね。
女性の購買パワーが強くなったのです。(私は消費者という言葉は嫌いですが・・・)
国の男女平等参画の方針や、会社での女性の地位が高くなったり、
共働きを始めるようになりましたし、
今の若い方には想像出来ないと思いますが、クリスマスイブには高級ホテルの
スイートが埋まる状況でした。
プレゼントも10万20万と高額なプレゼントも購入するようなニュースも出てました。
最も東京など都市部の話です。景気がよかったのですね。
でも、いつの時代でも。景気がいかに良くても、地方には回ってこないのですね。
これは今も同じですね。地方こそ都市部を支えているんだと思いますが。
百貨店、ショッピングセンターの生命線は何か?またお話します。