
「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ」
これはパラリンピック(身体障害者の国際スポーツ大会)の創始者、

この言葉は、障害者だけではなく何にでも言えると思います。
さて、2016年パラリンピックも閉幕いたしました。
感動を呼ぶ競技もさりとて、選手たちの笑顔が私たち見るものを本当に楽しませてくれて
彼らは感動tぽ勇気を与え続けてくれました。

残されたものを最大限活かせ!
物も資源もなかった昔の日本こそは、この言葉を最大限に実践した国だと思います。
そして、現代に生きる私たちは、この言葉を実践していると言えるのでしょうか?
「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ。」は誰の言葉?
ルートヴィヒ・グットマン博士が唱えた基本理念です。
経歴
ヴロツワフのユダヤ病院で医師をしていたが、1939年、
ナチスによる反ユダヤ主義が台頭したドイツを離れ、イギリスに亡命した。
1944年、ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターの所長に就任、1966年まで勤務した。
第二次世界大戦における戦闘で障害を持つことになった傷痍軍人たちの治療を通じて、
その身体的・精神的なリハビリテーションにスポーツが最適であると考えたグットマンは、
1948年、入院患者を対象としたストーク・マンデビル競技大会を始めた。
この競技会はその後国際大会として開催されるようになり、参加者数も増えて規模が拡大し、
1960年に同年のオリンピックと同じイタリア、ローマで開催された
国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会が、のちにパラリンピックの第1回大会、
ローマパラリンピックと見なされることとなった
ルートヴィヒ・グットマン(Ludwig Guttman, 1899年7月3日 - 1980年3月18日)は、
ドイツ国(当時)出身のユダヤ系神経学者で、「パラリンピックの父」とされる。
「ウイキペディアより」
確かに、様々な事情によって肢体の一部をなくした方はたくさんいらっしゃると思います。
そうして、その時にはどれほど悲しみに打ちひしがれたことでしょうか・・・。
健康で健全な人には分からないくらいの精神的苦痛、現実の生活での180度の変化など
想像を絶するものと思います。

肉体とは現世を生きるための道具である。本質は魂である。と高僧の言葉にもありますが
やはり、道具は壊れて欲しくないものです。
パラリンピックを見ていて、本当に彼らの身体能力の高さ、想像を絶する努力のたまものと
思いますが、溢れ出る感動と反面、自分の不甲斐なさに恥ずかしい思いも多々致しました。
人はないものばかり探し、あるものには目をくれずに不平や、不満のオンパレード。
そして、過ぎ去った時間を悔やみ、今という貴重な時間を粗末に生きている。
これはパラリンピックで彼らが与えてくれたチャンスです。
自分を省みて、反省し、行動していく為のマインドを彼らがパラリンピックで
私に与えてくれました。そして、自分を愛し、自分を信じる。
今あるものを最大限活かす。そしてそれは残されたもの?ではなく必要なものなのだと思う。
必要だから、神が置いてくれたのだと思う。いま生きている自分自身すらも・・・。
私はそう思うのです。
生かされていることに感謝をしてすべての事象を肯定的に受け止め前向きに生きていきたいと思います。
そして、彼らに負けない!!!東京パラリンピックの時には自分がどう変わっているのか・・。
彼らに恥ずかしくない自分でありたいものです。
PS.
よければ読んでみてください。
僕には足はないけど夢がある