
一流の条件というものはどんなことでしょう。
私にとってその答えがよくわかる人物がいます。

「北の迎賓館」と呼ばれる寿司の店を経営されている嶋宮勤氏です。
すし善という店を経営されています。

中学を卒業されて、15歳で単身東京に働きに出ていきました。ご両親の反対を押切り
半ズボンに下駄履きという出で立ちで青函連絡船に乗り「蛍の光」がかかる中、涙で
咽びながらの状況だったそうです。
当てがあって上京したわけでもなく、何の仕事をしたいというわけでもなく、
路頭に迷っていたところ、知り合った男性に、仕事を紹介してやるからと言われ
即座に嶋宮勤さんは「住み込みで働けるところがいい」と伝えました。
その時に、紹介されたのが、銀座の寿司屋でした。食器洗いや配達、お茶やおしぼりを
出していたそうです。下積みの仕事です。その時代はサラリーマンが月給1万の頃、3千円
お給金を頂いていたそうです。そんな生活が3年近く続いた後、里心がついて、店を飛び出し
北海道に帰ったのです。
そうして札幌の寿司屋で勤め、26歳の頃独立しました。独立した時の屋号(のれん)は大阪の
寿司や和食の職人を手配している(現在で言えば人材派遣)入れ出しの社長に気に入られていたので
その社長の店の「寿司善」を使っていいと言われたそです。そこから「すし善」という店になったそうです。
独立したばかりの頃は、客が全く来なくて困っていたそうですが、そこに五木寛之さんが来られ
週刊朝日の連載に店のことを書いてくれたそうです。それからお客様がご来店するようになり繁盛
したそうです。また、倉本聰さんと高倉健さんがよく来られているそうです。倉本聰さんとは嶋宮勤さんと
仲良くて、高倉健さんを連れてきてからの縁だそうです。
すし善の嶋宮さんの、プロとしてのエピソードがあります。これを読んで私はブログに書きたいと思いました。

ある日、アメリカ人の記者から
「あなたの握る寿司と回転寿司の違いは何ですか」って聞かれたことがありまして、
私はこう言った。
「俺の寿司はあなたのために握る寿司だよ。回転寿司は誰のためでもなく機械が勝手につくっている。
その違いだ」と。
そうしたら、みんな立ち上がって拍手してくれましたけど、そういう気持ちでずっとやっています。
さすがの名言です。創業45年で、札幌に5店、銀座に1店もち、「現代の名工」に表彰され黄綬褒章を
受けた闘魂の男。すし善社長、嶋宮勤氏の話を少しだけさせて頂きました。ぜひお店訪問されてみたら?
ではこの辺で。ありがとうございます。
